成長
国体予選が終わって一息つく間もなく、鹿児島のターミナル駅:鹿児島中央駅のスタバなう。
気づけば、鹿児島もスタバが3件もできたんですね。びつくり。はい。
今日は、昨年度お世話になった鹿児島のTBS系列の放送局 MBC(南日本放送)へご挨拶。
2年前もこんな感じで国体予選終わってすぐに、挨拶行ったな。と。
その時は、鹿児島のスキーこんな感じ!!って勢いでいった感じ。
鹿児島のスキーが無くなることは嫌だという、超絶わがままの精神で
県連の許可なんて得ずにとりあえず突っ込んでった感じ。
ここに関しては後日まとめてみよう。
で、そこから(突っ込んだときから)思うことは、
【スキーを通してすごい成長したな】って。
話がスキーから逸れて、いきなり方向性変わるけど
じゃあ、根本的に【自身が成長】するってなんやろ?
って、12月ごろから考え出した。はい。
考え出した理由は、インターンや色んなセミナーを通して学生も企業も共通の言葉として
「成長」っていうのを使って来るから。
例)成長したいから、ベンチャー行きたいとか。
個人的に成長したいって思ったことはない。
そもそも論で、
【成長したい→何かをする】
っていう考えにならない。
例)背伸ばしたい(成長)→牛乳飲む ならまだ分かる。 ※弟が実践してた。意味あるの?
でも、過去の自分から見たら成長した【実感】っていうのは、すんごいある。
その過去を見たとき、成長したときというのは共通事項で
【いるまにしかできない、何かを成し遂げたとき】
そして結果論として
【非常に感謝されたとき/人がついてきたとき】
が必要条件で付いている。
要は【いるまにしか出来なことで、結果を出す→第三者の評価→成長する】的な?
ってことで、
23年という人生を振り返ってみた時に、どんな「タイミング」で成長したのか?
って考えたら、2つの結論に至る。
・絶対的な存在になったとき
・逃げたいけど逃げれない状況のとき
前者は鹿児島のスキーや就活関連において、後者は研究や昨年度の主将業がある。
鹿児島のスキーや就活関連においては、
とにかく、新しいことを続々とアクション起こしている共通点。
一つのゴールに対して、色んな登り方を自分で発想して、
周りの方々に莫大なご迷惑(ご支援/支え)を受けて、のし上がる感じ。
もちろんそこには、そのゴール以上のもの(成長?)を手にすることができる。
最初(発想したときとか)はすんごい楽しくてわくわく感しかないんだけど
いざやってみると、まぁしんどいことだらけで、そこを乗り越えなきゃいけない。
自分の中のベクトルに関してもズレまくりで、自己で芯を強く持つことが何より苦労。
研究や主将業は、
あー、もうやりたくない、逃げたい、という心境ってのが共通点。
そんな心境でも、日程的にも終わっているぐらいで突っ込んで行っても、結果できた。
じゃあ、なぜできた?のか。
ここには【責任】が常についてまわる。
「鹿児島スキー選手×スポーツ推薦×理系」
要は主将も研究もしたくなくても、逃げたくても、
上記の立場があるから、絶対に辞めることができない。
すんごいキツイ道かもしれないけれども、もし仮に辞めたら、
「後世の可能性を遮断してしまう」
恐れがあるから。
あの人がダメだったから、厳しくね?って後輩が、いるまの歩んできた道を避けたら嫌やん?
なんか人生否定されてるみたいで。
って感じ。
何かを成し遂げるとき、個人的にはゴールはしっかりと設定する。
ただ、昨日の内容にも書いた通り、
「PDCA」のロジックではなく
「DPCA」のロジック。
注)よく考えたら、DPが無限ループしてる。
とりあえず、心のコンパス(ぼんやり思ったこと中心)に従って一回やってみて
からの、何回かミスるうちにゴールできて、計画が出来て…。
結論、何か成し遂げた時の先・ゴール達成した先に見えるものって
「なんかモテそう、いやカッコよくね?」
っていう、クズ野郎丸出し完全自己満足の世界。
やってるときって、さんざん変な目で見られるけれども
結果出せば、必然的に人はついて来るし感謝される。
そんなもん。
成長っていうもの自体、超・定性的な部分であって
自分の指標軸の中でしか、合格点あげられない部分。
もしそんな中でも、TOEICみたいに成長にも点数付けがあるのなら
個人的には、この23年の成長だけは誰にも負ける気がしない。
とふと思った、今朝方。
いるま