iruiruirumagawaの日記

関学院生×鹿児島のアルペンスキーヤー×エレクトーンプレーヤー×就活生 なう(2014.1.1現在)

スキーとの出会い ~自転車よりも速い~

昨日は部活の先輩の結婚式@岡山。

先週に引き続いて、二週連続の参戦。

 

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やっぱり体育会は変わりません。笑

いっぱい飲んで、いっぱい騒いで、いっぱい無茶しましたね。笑

 

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全員は揃わなかったけど、同期。

6年前あーだこーだ言いながら、スキーについて熱く語ったことを思い出す。

しかし、俺の顔でかい。でかい。

 

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三次会以降は、いつものノリです。

学生から、ほっとんど変わってませんでした。笑

強引に帰った(岡山→兵庫)けど、本当にしんどかった。しんどかった。

 

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こんなパーティーあっただね。

エヴァ知らんけど。

 

何はともあれ、本当におめでとうございます!!

 

そんな前置きから、【スキーとの出会い】について、強引にまとめてみる。

そもそも論、

「なんで鹿児島の人間がスキーと知り合うの?」

 

(・・?

 

ここから始まるはず。

 

答え:「親の趣味に子供を巻き込む(@入間川家教育方針)」

って聞かされました。

もともと、関東と東北出身の両親。

仕事の都合で、いるまが生まれる時から鹿児島在住。

よって、いるま+いるま弟は生粋の鹿児島っこ。

 

親がちょうど20代の時、世の中は「私をスキーに連れてって」の時代。

スキーがすんごい流行ってた(らしい)

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ちなみに、この映画を何度も見させられた。

「スキーが出来たらカッコよい」

という概念を幼少期より植え付けられる。

 

‐足をぴったり揃えて滑れば、モテる。

‐コブをリズムよく滑る。カッコよい。

まさに、こんな感じ。

 

よって、スキー場に子供も行きたくなる。

ゆえに、親の「スキーしたい」という考えと、子供の「スキーしたい」という考えが一致。

完全に教育方針にハマってました。

 

毎年冬は、鹿児島から帰省がてらによくスキー場に連れてってもらったものだ。

ただ、勘違いしたらいけないのは、親は

「スキーがしたい」

のである。

子供と一緒に滑りたい、という気持ちもあるが、、、すぐに

「スキースクール」

に、ぶち込まれる、そんな感じ。

子がレッスン中は、親はスキーを楽しむ。

自由に滑りたいのに、遊びたいのに、なんか基本ばかり教え込まれて、、

 

と、ぶーたれながら、スネながらスキースクールで色んな滑りを教えてもらう。

今思えば、これが無いと今の俺はない。感謝。

 

そんな感じの教育方針のもと、

結局スキーとの出会いは、多分20年まえ。いるま、3ちゃい。

俗にいう「プラスティックスキー」が初号機。

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「パンダスキー」って言い続けてたと思う。

今思えば恐怖のスキー板だと思う。

エッジないからターンできないし、

ってか、靴ベルト式だし。

止まるのがやっとのスキー。怖い。

 

リフトも乗らず、タラ――――って滑って。きゃっきゃ言う。

その無限ループ。

 

そんな感じが3年ほど続き、ついに初めてちゃんとしたスキーを履く機会が訪れる。

今でも鮮明に記憶に残っている。小学一年生、6歳の夏。

 

鹿児島で、なかなかスキー場まで遠かった。そりゃそうだ。

 

思った通りにスキーに行けないことにフラストレーションを感じた、いるま’s両親は、隣県・宮崎に夏でもスキーできるところを見つける。

 

それが「ETOランド」

http://www.etoland.jp/

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人工芝の上をスキー板を履いて滑ることができるという、なんとも画期的な施設。

この年から片道4時間の道のりを乗り越え、数十回この施設に行くことになる。

ちなみに昨年度、このETOランドのスキー場が閉鎖(老朽化等の理由)するまで、

鹿児島県のジュニアの合宿を行っていて、コーチとして2度ほど行った。

 

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話をこのスキー場での滑りに戻す、、、

通称:パンダスキーを卒業して、初めて俗にいう「カービングスキー

斜面に立った時、不安とかよりも「ドキドキ」が大きかった。

イメージはもうすでに、「私をスキーに連れてって」の滑りそのもの。

イメトレは完璧。

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ただ、現実はそんなに甘くない。

とりあえず板をまっすぐにしてみる。

今まで体感したこともないスピードに襲われる。

 

なにより怖かったのは

「ブレーキがない」

このこと。ぐんぐんスピードは上がるくせに、止まれないのである。

 

【自転車より速い】

当時、6歳。

この世代では、補助輪なし自転車が何よりもスピーディーなものだったに違いない。

それよりはるかに速い。

自らの経験した最高時速を軽く超え、かつ止まる手段がない。

足がすくむ。通称:がくぶる ってやつ。

気づけば転倒。そして、人工芝で擦りむく感覚。

足元は、がちがちに固定されたスキーブーツ。身動きは取りづらい。

おまけに、人工芝のスキー場は、一定時間ですべりやすくするために水が散布される。

 

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スピードへの恐怖心と、一人コースのど真ん中で転倒してる恥ずかしさ

あと、突然の放水に、

 

 

 

 

泣く。(いるま、泣きだすと、止まらない。今でも。笑)

号泣。

 

 

 

これが本格的な初めてのスキーとの出会い。

最近になって親に再度聞いが、教育方針として

「最初は親は手を出さない。まず子供にやらせてみる」

 

よく言えば、自立心を養う。自ら初動で動く力を養う。と取れる。

素晴らしい。、、、、と思いきや、次に出てきた言葉が

「ま、面倒だから、放任してるだけなんだけどね。」

 

ええ、ありがとうございます。

あなた方の息子は、そのおかげで色んなことの「初動」だけは早くなりました。

 

で、転倒して泣いて、やっと助けが来る。

かと思いきや、ここでも放任。

命からがら自力で降り立った時の感想は

「二度とスキーなんてしない」

 

だったことを覚えてる。

 

ただ、ここが親のうまいところ。

確か当時は、お菓子でおだてられました。

「滑れるようになったら、お菓子500円分買ってあげる」

ええ、必死でやりましたよ。マジで。

6歳の500円って、今のいるまにしては50万(?)くらいの価値がありますから。

 

必死に教えてもらった。

親に「スピード制御」の仕方。

八の字ってやつ。

※これってスキーのすべての基礎で、今でも練習でやるくらい大切。

 

これを何とかその日にマスター。

ここからはスキーが楽しくて仕方がなかった。

いかにして、板を真っ直ぐするか。

ターンするとき、いかにして抵抗を低くしてスピードを出すか。

 

【自らの最高速度】

これを上げ続ける戦いが始まった。

もうね、楽しい。

子供だからコケても別に大きな怪我しないし、とにかく大人より速く滑りたかった。

そして、徐々に速くなる自分がすごく楽しかった。

 

 

ちなみに今、普通にシーズン初頭にスピード練習しても、車くらいの速度はすぐに出る。

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こんな感じで、スキーと出会って約10年間。

中学生くらいまでは、ずっとこの調子。

気づけば、どんな斜度でもある程度滑ることが出来、

板もキッチリ揃って、ターンができるまでに!

 

これがスキーとの出会い。

ここから、国体・インターハイ/スポーツ推薦/スキー部/鹿児島へのアプローチ等につながるなんて、ここら辺の時代の時は分からなかったな。

 

こうやって人生、見つめなおして可視化すると面白い。

次は、「高校生:国体初出場」~について。

 

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いるま